学校長あいさつ

神から与えられた
人間としての能力
光塩女子学院
初等科 校長
影森 一裕
神から与えられた人間の素晴らしい能力の一つに、「今、ここにいない仲間を信頼して、その仲間を頭の中に呼び出して話し合い、未来に向かって正しく判断して行動できる」ということがあります。この能力をつかって、人類は文明を築き、歴史を切り開いてきたと言えます。不確実な時代の人間らしい生き方とは、まさにこの神から与えられた能力を生かす生き方です。信頼できる仲間を自分の頭の中に取り込むには、信頼できる人間関係が自分の周りに築かれていなければなりません。
子どもの頭の中の私たち(学校と保護者)が互いに信頼しあって、親密な情報交換の中で、お子さまの成長を見守っていくことが大切です。さらに、学校生活の中でイエスに倣うことを通して、信頼できる友達を自分の「私の中の私たち」にたくさん迎え入れられるように願っています。その根底になるものが「光と塩の精神」です。
本当に自分が「光と塩」になることができれば、人の過ちや失敗を赦すことが出来ますし、それを揶揄することもありません。同じように、自分の過ちや失敗を赦してもらえるはずですし、揶揄される心配もないでしょう。そこには安心して自分の過ちや失敗をさらけ出して、赦し合い、協力し合える建設的な人間関係が築かれているはずです。
「人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。」(ルカ6-31)というイエスの言葉は「自分を信じ、仲間を信じ、社会を信じてよく生きよ」というメッセージです。
-
神様の愛・創立者の愛・親の愛
創立者マドレ・マルガリタは「単純で素朴で温かい家庭の雰囲気こそが子どもたちの成長にとって不可欠であり、貴重な宝です。」と言っています。
今、エゴイズムと無関心のグローバリズムの社会の中で、私たちは互いにその人格を認め合い尊重しあう、愛ある人間関係を築く必要があります。なぜなら私たちは神に創られたユニークなかけがえのない存在だからです。私たち大人は人間としての本当の生き方があることを身をもって教えていかなければなりません。
もっとみる閉じる赤ちゃんが母親の腕の中でまどろみと覚醒の間をさまよっているとき、母親の優しさを確認するかのように幾度か薄目を開けます。そのとき、母親が優しく微笑んだりかるくたたいたりしてやると、赤ちゃんは安心して、スーと深く呼吸して夢の中に入って行きます。このように無償の愛の中で育ってきた子どもにとって、一番大切なのは、「どんなことがあっても、自分のことを愛してくれる、守ってくれる」という絶対的な信頼感と安心感です。ありのままの子どもを受け入れ、認め、そして絶対的な安らぎを与え保護してくれる存在として母親と父親を含めた信頼できる保育者がいます。その理想の母が、イエスの母、マリアなのです。
子どものことを無条件に愛せることが必要です。現実には難しいことですが、「こうなってほしい」「こうしてほしい」という思いに条件があってはいけないでしょう。これから赤ちゃんが生まれようとするとき「こうあってほしい」と願わずに、ひたすら、「無事に生まれてほしい」と願ったはずです。ありのままの姿を受け入れ、「あなたのことが好きだ」と心から言えたり、感じたりできることが大切です。つまりは、保育・育児する者にとって根源的な母性が求められていると言えるでしょう。
過保護でもなく過干渉でもなく、なおかつ自由放任でもない、子供の自発性を尊重して、必要な時に手を貸して、温かく見守ってくれる保護者でなければなりません。娘の失敗を恐れるあまり、先に先に手をだしてしまう。ついつい、最善のものを与えたくて、娘にああしなさい、こうしなさいと命令してしまう。さらに娘の不甲斐なさに腹を立てて「勝手にしなさい」と宣言してしまう、等々……。過保護も過干渉も自由放任も程度問題です。それらは程度を変えて個々の場面で必要なものです。ある時は十分に甘えさせ、ある時は強制したり自由にしたりする必要もあるのです。子育ては「あれか、これか」ではなく、「あれも、これも」なのです。どれかに偏ってしまっているなと反省したら、柔軟に軌道修正できる子育ての知恵が大切です。
子どもの成長を支援するためには、上から子どもの手を引っ張りあげてやらないといけないのです。いざというとき、いつでも親が助けてくれるという安心感がなければ、子どもは独り立ちできません。失敗すれば、子どもも親も達成感を味わうことなく挫折感だけが残ってしまいます。監督するのではなく、一緒に歩んでください。とにかくやらせてみて、娘の歩む歩幅を理解してください。その歩幅を基に、これから歩む距離・目標が見えてくるはずです。相手は日々変化成長する人間です。こちらも変化成長して柔軟な対応をしていかなければなりません。大切なのは本人のやる気です。実現可能な計画の中で、ふだん出来ないことややりたかったことに、失敗を恐れることなく挑戦させてください。
-
共同担任制と教科専科制の良さ
「学び」についても「生活習慣」についても、精神論だけで乗り越えられるものではありません。失敗の原因は何だったのか、どうしたらより良くなるのか、と客観的な根拠をもとに工夫して、より良い方法を確立することが大切です。
それは学校全体や教師についても同様です。学校として「温かみのあるきめ細かい担任の対応」や「お子さまへの質の高い授業」を目指していても、それを実現するための具体的な方策がなければ絵空事になります。
もっとみる閉じる初等科の特色である「共同担任制」と「教科専科制」は、まさに学校としての目標を達成するための具体的な方策です。
共同担任制は3~4人の教師が学年全体の担任としてお子さまをきめ細かくサポートする仕組みです。例えば、保護者面談では複数の担任から見たお子さまの様子を多面的にお伝えできます。また、お子さまのことでお悩みになったり、お子さま同士でトラブルが起こったりしたとき、保護者の方は複数の担任に相談することができますし、複数の教師が協力して対応にあたりますので、複数の担任の頭を通した客観的な信頼できるきめ細かい担任対応ができます。
普段の学校生活の中でも、お子さまは複数の担任と一緒に過ごします。「外で元気に遊ぶときには〇〇先生を誘おう」や、「手芸の話題ならば詳しい〇〇先生に話してみよう」のように複数の教師と過ごすことで、様々な価値観や考え方に触れるきっかけにもなります。
教科専科制は教科ごとに担当する教師を割り当てる仕組みです。例えば、算数を担当する教師はA組とB組の両方のクラスで算数の授業を行います。小学校の教師ですから全教科の授業をするだけの技能はもっていますが、あえて特定の教科だけを担当することで、その教科の指導に関する専門性を高め、より質の高い授業を行うための工夫です。
このように、光塩ではお預かりしたお子さまが勉強面だけでなく、すべての面においてより良い教育を受けるための具体的な仕組みをもって臨んでいます。毎年、3年生全員の保護者と校長の面談をしていますが、多くの方が「はじめは固いイメージでしたけれど、こんな明るい活発な面倒見の良い学校とは思いもしませんでした。」と言ってくださいます。やらなければならない勉強は集中してやり、ご家庭での時間を豊かに過ごすけじめある生活を勧めています。学校生活でも、授業は集中して先生と向き合い、休み時間は元気に遊ぶ、とけじめある学校生活を送るよう呼びかけ実行していますので、授業公開をご覧になった方からは、「静かに集中する授業と活発で明るい休み時間のけじめある子どもたちに驚きました。」との感想をたくさんいただいています。例年、2回の授業公開を行っていますので、お子さま同伴でも、保護者の方だけでも構いませんので、どうぞお立ち寄りください。
-
学校は勉強するところ
説明会で「学校は勉強するところです。」とお話ししています。それは「ご家庭では、学校の集団教育ではできない教育、年令相応のしつけ、個性に対応した情操・芸術教育、体力づくり、そして、ご両親の価値観の伝達など、許す限り家庭教育を沢山してください。」ということです。やがて、宿題だけでなく、プラスαの勉強の必要性を感じて、自ら机に向かうことを期待しております。家庭教育においても「学校は勉強するところ」という姿勢が大切です。
もっとみる閉じる高学年になってまで、大切な家庭での時間を、学校の勉強のサポートや強化に費やしてしまうと、ご家庭で培う教養も、そこから要請される学問の大切さも人生の楽しさも知らずに、ただひたすら点数を目的とした勉強しか知らない貧しい人間に育ってしまうのではないか心配です。
「学校は勉強するところ」に付け加えて「勉強の仕方も学ぶところ」を実践していかなければ、本当に「勉強するところ」にはならないだろうと考えております。教える側から言えば、知的好奇心を満足させる「楽しい授業」を工夫して展開していくことしかないように思えます。学ぶ側からは、「学んだ成果を反省できる勉強の仕方」の工夫が大切です。
勉強が、学んで習うだけでなく、どのように学習すべきかに焦点が結ばれ実践されるとき、他人との相対的な比較ではなく、一歩一歩着実に進んでいく自分の足跡を、実感を持って見つめ、神から与えられた自己の能力を確認しながら、確実に成長できる人間に育っていくことが出来るのです。