光塩女子学院 初等科

学校紹介

卒業生の声

光塩女子学院初等科をご卒業されて、各方面でご活躍されている方からメッセージをいただきました。

山本紗衣様

愛や優しさを教えてくれる場所

山本紗衣様(初等科48回生、中高72回生)

略歴

1994年(平成6年)
光塩女子学院初等科入学
2006年(平成18年)
光塩女子学院高等科卒業

小学校の頃に観た『夢から醒めた夢』に衝撃を受け、劇団四季を目指す。
幼い頃からダンスを始め、声楽のレッスンも重ねる。大学では声楽を専攻し、2010年研究所入所。
『オペラ座の怪人』で初舞台を踏み、のちにクリスティーヌを演じている。
『ウェストサイド物語』ではマリア役を務める。
『リトルマーメイド』『ジーザス・クライスト=スーパースター』『劇団四季FESTIVAL!扉の向こうへ』にも出演。

初等科時代の思い出を教えてください。

日記提出がとても印象に残っています。誤字の訂正とともに、先生からコメントが返ってくるのがとても楽しみでした。その日の楽しかった出来事の振り返りや反省、自分の考えを文章にまとめる訓練、そして先生とのコミュニケーション。正直、かなり大変でしたが、今思うと本当に良い経験だったと思います。

初等科時代からつながっていることを教えてください。

大学から専門的に西洋音楽を学び始めました。宗教曲はもちろん、オペラでも、歌曲でも、その多くはキリスト教文化が密接に関わっています。入団後もたびたび神に祈る役を演じてきました。初等科では毎日、朝礼、食前、食後、終礼のお祈りをしていましたし、毎週土曜に倫理の授業があり、シスターが聖書のお話をしてくださいました。父と子と聖霊の三位一体の図を黒板にシスターがお書きになっているのを今でも鮮明に覚えています。私自身は洗礼を受けているわけではありませんが、当時からキリスト教が生活の一部でした。その経験が、西洋音楽を学ぶ上で役だったことは言うまでもありません。

入学を考えているご家庭へのメッセージをお願いします。

当時、漢字テストの採点がとても厳しく、1文字でも、とめ、はね、はらいが足りない文字があれば容赦無く減点でした。宿題もたくさん出ましたし、持ち物も全て校章がついていて、厳しい校則もありました。しかしその厳しさが自分に必要だったと今なら分かります。日々の身だしなみ、言葉遣い、礼儀作法、細かいところをおざなりにしない心。それを学べたのは光塩だからだと思います。
そしてその厳しさの一方で、国語の時間にバッハのメヌエットを鼻歌で歌った私に、「やめなさい!」ではなく、「美しい音楽は休み時間にしましょう。」といってくださった先生。私たち生徒のためにずっとロザリオを持ち祈ってくださっていたシスター。光塩は人間として一番大切な愛や優しさを教えてくれる場所でもあるのです。

大家百子様

今なお歌い継がれる歌声

大家百子様(初等科16回生、中高40回生)

略歴

1962年(昭和37年)
光塩女子学院初等科入学
1974年(昭和49年)
光塩女子学院高等科卒業
1981年(昭和56年)
桐朋学園大学音楽学部作曲理論学科を経て同大研究科修了
文化庁海外派遣研修員として渡独、故G.リゲティ氏他に作曲を師事
1990年(平成 2年)
ドイツおよびフランスに計10年滞在の後、帰国

現在、桐朋学園大学、青山女子短期大学、各講師。女声合唱団コール・モモ指揮者。
現代音楽協会会員、OTO(おと)の会メンバー。作曲家として大家百子、福永百子の筆名で活動。
主要作品:≪薺舞(なずなまい)(Shamisen+Orch.)≫ ≪はんぶんづき(F.Chor)音楽之友社刊≫≪Duo~第2番~(Accordion+Piano)OTOの会出版刊 https://www.youtube.com/user/OTOnoKAI≫他。

初等科時代で印象に残っていることを教えてください。

当時はシスター方のことをマドレとお呼びしていました。1年生の時の英語の先生はアメリカからいらしたマドレメルセデス。今でこそ珍しくはないかもしれませんが、英語で英語をお習いするような授業でした。シスター手作りの挿絵カードでたくさんの英単語を覚えましたが、「Jack O' Lantern(ジャックオウランタン)」のカードに、随分長い言葉だなぁ・・なんでカボチャの顔はこんなに怖いの?アメリカってどんな国かな?などと思ったことを今でも鮮やかに覚えています。4年生の頃にはスペインから見えたシスターローサの手芸の授業がありました。クロスステッチ刺繍でクッションを作りましたが、黒い布に赤や緑の糸といった鮮やかな色彩の教材が配られ、興に乗るとスペイン語に変わってしまうシスターのお話しぶりと相俟って、かの国の情熱に触れた思いがしたものでした。運よくスペイン語圏から帰国したばかりの生徒もクラスにいて、通訳をしてくれていました。50年も前から光塩にはなかなか国際的な雰囲気があったのかもしれません。

大家様の音楽との出会いを教えてください。

その昔の光塩幼稚園は、小さな木造園舎。2階のアップライトピアノで放課後にピアノを教えてくださっていたのは、シスター田中でした。ピアノが貴重品であった時代、我が家には赤い小さなトイピアノしかなく、お稽古で本物のピアノに触れるのは格別なことでした。シスターには初等科時代もお世話になりましたが、50年を経た今も、拙作の初演コンサートなどの折には駆けつけてくださることがあります。手作りの天使様のお人形などを手土産に。なかなか理解されることの難しい現代音楽という分野にいて、こうした一本の赤い糸のような繋がりが、どれほど次の創作への原動力になることか。光塩の包み込むような優しさに、今でも支えられていると思うことがあります。

光塩のために作曲してくだった記念歌について教えてください。

1980年の初等科50周年の折には、まだ音大生であった私に記念歌を作曲する機会をお与えくださいました。「光あれ」(作詞:シスター山田万里子)です。この歌が今なお卒業式などで歌い継がれていることを、つい先日知りました。演奏されることで音楽も成長していくものなのですが、長きに亘り歌をも育ててくださっている母校光塩には、感謝以外の言葉は見つかりません。

南部夏子様

時代に合わせてしなやかに変化していく光塩

南部夏子様(初等科34回生、中高58回生)

略歴

1984年(昭和59年)
初等科5年生に編入
1992年(平成4年)
高等科卒業
慶応義塾大学総合政策学部入学
1996年(平成8年)
株式会社伊勢丹入社
2009年(平成21年)
スクールユニフォームに異動。
光塩女子学院の制服の担当になる。

今の仕事に活きていることはありますか。

今思い返すと、光塩のバザーで食堂のお手伝いをしてから接客業に興味を持ち、大学を卒業後就職したのが伊勢丹でした。入社して20数年が経って、今度は伊勢丹の制服担当として、光塩と関わる機会に恵まれました。
当時は、勉強はもとより生活全般の規律が厳しく感じましたが、今は、そこで基本的な「挨拶をする」「思いやりを持って行動する」「感謝する」ことをきちんと学んだように思います。そして、何よりも先生方が温かく見守っていてくださったことに改めて気づきました。
現在の校舎も制服もカリキュラムも、当時とは異なります。社会のニーズや、子どもたちに合わせてしなやかに変化していく光塩に頼もしさを感じます。これからも、変わらない光塩、そして変わりゆく光塩であってほしいと思います。

光塩とはどのような学校ですか。

「あなたがたはユニークな存在です」そうお話しくださった校長様。一人一人がかけがえのない大切な存在なんだと、何度もお話しくださいました。自分自身のことも大切に、そして自分を支えてくださる方々のことも大切に、いつも感謝の気持ちを持ちましょうと教えてくださいました。そのせいか、光塩ではお礼の手紙を書いて、お世話になった方々に、必ず感謝の言葉を伝えていました。
大人になって「感謝の気持ちを表す」ことが苦手な人に出会います。もっと素直に表現できれば本人も周りも幸せになるのにと残念に思います。同時に光塩で学んだ「感謝の気持ちを表す」ことが、私たちの心を豊かにする貴重なことなのだと実感しています。

阿部悦子様

医師を志すきっかけ、土台を作ってくれた場所

阿部悦子様(初等科37回生、中高61回生)

略歴

1983年(昭和58年)
光塩女子学院初等科入学
1995年(平成7年)
光塩女子学院高等科卒業
1995年(平成7年)
東邦大学医学部入学
2001年(平成13年)
東邦大学医学部卒業
2001年(平成13年)
東邦大学医療センター大森病院入職
2007年(平成19年)
六本木ヒルズクリニック 入職
2015年(平成27年)
あべ耳鼻咽喉科クリニック開設

初等科時代で印象に残っていることを教えてください。

私がリレーの選手に選ばれた時、学校を病欠しがちな私を心配し、運動会当日まで体育の授業の後、私の自主練習を見守り続けてくださったことがあります。多人数のうちのたった一人の私に気をかけてくださったことがとてもうれしいなと思いながら運動会で走ったことをよく覚えています。印象に残っているのは運動会やクリスマスなどの行事というよりは、何かと先生方にお話を聞いていただいたことです。そしてふとした時に先生方が声掛けをしてくださった気がします。運動会もみんなで一生懸命練習、クリスマス会でも一生懸命練習。そこにはいつも先生方がいらして、今思うと先生方もさぞ大変だったであろうと思います。

初等科とは阿部様にとってどのような場所ですか。

私にとって初等科は医師を志すきっかけ、土台を作ってくれた場所です。「友のために命を捨てるほど大きな愛はない、常に隣人のことを想う」という理念を時に紙芝居、時に画像にてお伝えいただき、いつしか私の心と体に染みついていきました。思春期にあれこれ悩み、自分なりに克服し、この体験を何かにいかしたい、同じように悩む人がいたら力になりたい、そう自然に思い、医師になる決意をしました。

初等科での経験が今のお仕事につながっていると思われることは何かありますか。

1年前に開業する以前は、同地区で勤務医として7年働きました。開業にあたり、一番は7年間育てていただいた患者さんたちによりよい環境で医療を提供することで、恩返しができたらと思いました。小さなクリニックですが、地域に根づき、患者さんのお話に耳を傾け、病気をただ診るのではなく、個々の生活スタイル、バックグランド、心身のバランスなど包括的な治療を心がけています。こつこつとただ誠実に自分が正しいと思うことを信じて進む。これは光塩の初等科時代にシスターや先生方に教えていただいたことだと思います。

初等科入学を考えているご家庭へのメッセージをお願いします。

光塩はわりに地味なイメージ、カトリックで厳しい印象があるかもしれませんが、私はわりとのびのびと学校生活を送った気がします。120パーセントの力で体をいっぱい使って運動し、懸命に勉強した思いがあります。初めは少々気おくれするかもしれませんが、先生方は優しく時に厳しく、お子さんの教育の応援団、先輩としてとても信頼できると、母となった今、実感しております。 現在通われている初等科生には「いつも見守ってくれる人がいる」「自分のことを心から考えてくれる人がいる」ということをぜひ感じてほしいです。迷ったり、寂しかったりする、そんな時に思い出してください。女性の未来像は多様化していますが、このことはどの生き方にも通じることだと思います。シスターや先生方は深い愛情でみなさんを静かにいつもいつも見守っていてくれます。そしていつでもその心の声に耳を傾けてくださいます。そのなかでのびのびと、みなさんの可能性を広げるべく学校生活を送っていただけると嬉しいです。